東日本大震災からの復興
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「地域を照らした会館」
発災から6時間後、山形県米沢市に救援物資を積み込む青年部の姿があった。
トラックは吹雪の中を4時間半かけて、仙台市の東北文化会館に到着。
避難者であふれた仙台中の各会館にバナナやソーセージ、栄養剤などが届けられた。
(3月11日夜、米沢文化会館) -
「地域を照らした会館」
東京・神奈川の消防から要請を受け、消防隊の基地になった東北文化会館の駐車場。
隊員たちが野営し、各地への救援を続けた。後日、会館に対して東京消防庁総監、横浜市消防局長から感謝状が贈られた。
(3月12日) -
「地域を照らした会館」
いち早く物資が届いた仙台市の東北文化会館で、飲料水やお菓子を配布する役員たち。
宮城、福島、岩手の計29会館に約5000人の避難者が身を寄せた。
(3月12日) -
「地域を照らした会館」
最大時1000人を受け入れた東北文化会館で、女性たちが夜を徹しておにぎりをつくった。
持ち寄られた炊飯器、非常用電源で米が炊かれた。
(東北文化会館) -
「地域を照らした会館」
村井宮城県知事と会見する東北方面災害対策本部の代表。
避難者の窮状を訴え、行政支援を要請した。
3月31日、創価学会は宮城県など5県1市に義援金を贈った -
「復興へ」
創価学会ドクター部、白樺会(看護者の集い)が避難者の健康相談を実施。
「どこか痛い所はありますか」「何か困っていることはないですか」。
1カ月間以上にわたって避難生活を続ける女性は「気さくに相談に乗ってくれて、本当にありがたい。ほっとしました」と語った。(4月10日、石巻平和会館) -
「復興へ」
岩手・釜石市で避難生活を送る2人の少年少女部員にランドセルが贈られた。
筆記用具、ノート、本などが、ぎっしりつまったランドセルに一通の手紙が添えられていた。「はじめまして、こんにちは! さむいなか、だいじょうぶですか? ろくねんかん、つかったランドセルですが、ぜひ つかってください。わたしは、いわてけん もりおかの こんど ちゅうがくせいになる おんなのこです。がんばってください」(3月27日) -
「復興へ」
東北音楽隊が、避難所で演奏会を開催。
力いっぱい喝采を送った男性は「避難所に来てからずっとしょんぼりしてたけど、もう一度頑張ろうって思えたよ」と語った。
(3月27日、石巻市立万石浦中学校の体育館で) -
「復興へ」
山形青年部が石巻の復興支援センター(石巻文化会館)に救援物資を搬入する。
青森・秋田・山形をはじめ日本中からの応援が続いた。
(6月) -
「復興へ」
一般の避難所にも救援を実施。
支援の手が行き届かない避難所に食料、おむつ、水など届けた。
(3月28日、宮城・南三陸町) -
「励ましの手を」
創価学会の原田会長(左)が会館に身を寄せた避難者を励ます。
「全国の、全世界の同志が、皆様の無事安穏を、幸福と勝利を祈っています。私たちも最大限の努力をします」と語った。
(3月17日、若林平和会館) -
「励ましの手を」
新潟の同志から贈られた寄せ書き。
中越地震を乗り越えた友からのメッセージが被災者を勇気づけた。 -
「励ましの手を」
多くの友の安否確認に歩き、走った。
携帯はつながらず、ガソリンが欠乏する中、忘れかけていた笑顔が戻った。
(3月30日、岩手・大槌町) -
「励ましの手を」
宮城県の学生部が「自転車レスQ隊」を結成。
独り身で被災した高齢者宅で清掃やゴミ捨てを行った
(3月19日、仙台市内) -
「励ましの手を」
理美容に携わる友が、持ち出せたハサミと櫛で避難所の訪問カットを実施。店は全壊した。
「こんな状況でも、友のために動いている同志がいた。負けていられなかった」
(岩手・大船渡市) -
「励ましの手を」
震災後初の座談会。避難所などに点在する気仙地域の同志が集まった。
「この震災を、必ず幸福の因に変えていきます」。
ライフラインの復旧より先に「心の復興」は始まった。
(3月27日、岩手・陸前高田市) -
「励ましの手を」
壮年部、男子部の有志が被災した家屋のヘドロ除去や家具の移動などを買って出た。
その名も「かたし隊」。「片付ける」にくわえて、苦難を共に乗り越え、被災地を「勝たしたい!」との意義が込められた。取り組みは今も続く。
(6月5日、石巻市内)